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意外と知られていない 神道と仏教の違い

 
意外と知られていない 神道と仏教の違い

日本の二大宗教として知られていますのが、“神道 (「しんとう」と読みます。「しんどう」ではありません。)”

と“仏教”ですね。(※「儒教」を入れて日本三大宗教とする事もあります。)

皆さんも、初詣に神社に参拝したり、仏壇の前で「南無阿弥陀仏」とお経を唱えたりといった宗教的行事を、普段意識していなくとも経験されている事と思います。

しかしながら、神道や仏教の行事が、あまりにも日本人の生活の中に自然に溶け込んでいる為に、両者の教義の内容については意外と知られていないものです。

“神道と仏教ってそもそも何なの?”

“神道と仏教ってどう違うの?”

Hohoron.comでは、皆さんのこんな疑問にお答えしていきたいと思います。

画像:jice.homemate.co.jp

<まずは神道と仏教について>

神社やお寺に定期的に参拝する方々であっても、神道と仏教がそもそもどのような宗教であるかをご存知ない方々は割合いらっしゃる事でしょう。そこでまずは、両宗教についての概要を紹介していきたいと思います。

神道

神道は、仏教や儒教、キリスト教等の他宗教が日本に伝わる前から信仰されている、日本古来の民族宗教です。いわば、日本人固有の宗教、と言えるでしょう。「神道はどんな宗教ですか?」という質問に一言で答えますと、“様々な「事・物・人・自然」を神格化し信仰の対象とする「多神教」”であると言えます。(※一方、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のように、「神は世界の創造主であり、唯一無二の存在である」とする宗教を一神教と呼びます。一神教では、信仰対象は「ただ一つの神」なのです。)

只今申し上げましたように、神道では様々な対象が神であり、信仰の対象となります。と申しますか、“人々(日本人)が様々な対象を神として『自由に崇め』、信仰する”のです。海の神・川の神・山の神・太陽の神・月の神・水の神・火の神・魚の神・(人物名)の神……などなど、とにかく多くの対象を神様として崇めるのです。

なぜ、これほどまでに多くの対象を崇めるかと申しますと、“感謝”と“畏怖(怖れ)”の為です。古来より日本人は、「大自然のおかげで自分達は生かされている・自然が壊れてしまえば、水も塩も食べ物もなくなってしまい、自分達は生きられない」という考えを強く抱いていました。その為、自然に関する様々な対象を「とても尊い存在」であるとし、「私たちを生かして下さってありがとうございます」という感謝の意味を込めて、神様として信仰するようになったのです。

また、自然はいつも自分達人間の味方であるとは限りません。時に猛威をふるい災害を生じさせたり、病を流行させたりと、人間生活を大きな脅威にさらすとても怖ろしい存在でもあります。その為、畏怖の念を起こさせる自然に対して「どうか怒りを鎮めて下さい」という祈りの意味を込めて信仰するようにもなりました。

こうした思いは、自然だけでなく「特定の人物」に対しても同様です。社会に大きく貢献した人物は「感謝」の意味で信仰対象となり、怨霊となった人物には「畏怖」の意味で信仰対象となっていったのです。

こうして信仰されるようになったこれらの神々の総称を“八百万(やおよろず)の神”と呼びます。「やおよろず」とは「はっぴゃくまん」という漢字を書きますが、これは“もの凄く沢山の”という意味であるとお考え下さい。

繰り返しますが、“八百万の神(人々が神として扱うようになった対象全て)が、信仰の対象になる”というのが、神道の大きな特徴です。

この「神様がたくさん存在する」という宗教の事を、(先程単語だけ登場致しましたが)“多神教”と言います。多神教は他に、道教・ヒンドゥー教・ギリシア神話などに見られます。

(※余談)

神社に祀られている神々の多くは、「日本神話」に登場する神です。日本神話の書物として有名なのが、皆さんも歴史の授業で耳にされた事があるでしょう。“古事記”や“日本書紀”なのです。これらの神話には、天地創造の記録(日本国がこの世に創られるまでの経緯の記録)や、天皇誕生の経緯が、物語のように著されています。

仏教

仏教は、お釈迦様(本名はゴータマ・シッダルタ)が開祖である宗教で、キリスト教・イスラム教とならぶ「世界三大宗教」の1つです。ただいま、仏教を「宗教」と申しましたが、私個人的には、仏教は「宗教」というよりも“人生哲学・道徳哲学”であると思っています。(その理由は後述します。)

まずは、お釈迦様がなぜこのような教えを広める事になるのか、その経緯を紹介していきましょう。

開祖ゴータマ・シッダルタは、約2500年前に、釈迦族(シャーキャ族)という小国の王族の王子としてご誕生されました。幼少時から大変聡明で、内省的で思慮深い性格でした。小国とはいえ一国の王子ですから、少年時から、地位・名誉・権力・財産・美女……全てが手に入る環境でしたが、上記のような性格の持ち主であった彼は、このような世俗的・享楽的な人生に虚しさを覚え始めたのです。(一説には、彼が病弱であった事や、幼い頃に母が亡くなった事が、こうした物思いに耽る性格に拍車をかけたとも言われています。)

現代の一般的な方々からすれば、かなり後ろ向きで厭世的な性格に見える事でしょう。

“このままこうして華やかな毎日を送っても、死・老い・病・死という、人生の大きな苦からは避けられない。どうしたら、生涯安穏で幸せに生きる事が出来るのか……?”

このような自己探求がきっかけで、彼は出家を思い立ったのです。つまり彼は、「全ての生きとし生けるものを救う事を目的に修行を始めた」のではなく、「彼自身の内面の苦しみ・悩みを解決する為に始めた」んですね。いわば、個人的な真理探究活動であったわけです。(そのため私は、お釈迦様の事を「宗教家」ではなく「哲学者」だと考えるのです。)

29歳の時に、「王族」を捨てて出家し、過酷な修行をし、35歳で菩提樹という木の前で瞑想し、悟りを開き、「仏陀」となります。(修行の詳細はここでは割愛します。ちなみに仏陀とは「悟った者」という意味です。)

また彼は幼少時より、人間世界の争いのみならず、動物世界における弱肉強食の様子についても心を痛めるような、非常に優しい性格の持ち主でした。

“自分自身が悟った内容を広める事によって、生きとし生けるもの全ての悩み苦しみがなくなり、救われるのではないか……?”

心優しい彼はこう考えるようになり、自身の悟った内容を「教え」として広めるようになっていったのです。これが、仏教の始まりです。つまり彼は、「教えを周囲へ広めて、周りの方々を悩み・苦しみから救おうとした」のであり、宗教団体を作って権力者になろうとする気などは微塵もなかったのです。

(現代の新興宗教団体のトップの方々とは大違いです……お金儲けなど論外ですね。)

さて、肝心の仏教の内容ですが、実の所、“お釈迦様が元来教えていらっしゃった内容の「原始仏教(初期仏教)」は、お釈迦様の死後、解釈の相違から「大乗仏教」「上座部仏教」という2つの宗派へと分裂”したのです。その背景についても本記事では割愛します。

両者の違いを簡単に申しますと、“大乗仏教=お釈迦様の「目的(生きとし生けるものを悩み苦しみから救う事)」を重視”、“上座部仏教=お釈迦様の「言行(1人1人が悟りを開く為の生き方)」を重視”した宗派である、という事です。

中国・朝鮮・日本といった極東国に伝わったのは、「大乗仏教」の方なのですが、日本に伝わってから更に、多数の細かい宗派に分かれていってしまうのです。(皆さんも名前をご存知かと思いますが、「日蓮宗」「浄土宗」「浄土真宗」「曹洞宗」などの宗派がそれらです。)ですので、“原始仏教(お釈迦様が元来教えていらっしゃった教え)と、日本で広まっている仏教の内容とでは、かなりの相違がある”という事は、ぜひご理解下さい。そのため、本記事にて仏教の全ての宗派の教えの詳細を述べる事は到底出来ませんので、大変残念ですが、教えの内容については割愛させて下さい。

ただ、どの宗派についても共通しているのは、“信者の方々が、悩み・苦しみなく生きる方法を「現実的・実践的」に教えていらっしゃる事”です。換言すれば、“教えに「超自然的」な内容が非常に少ないのが仏教の大きな特徴”です。

あなたが仏教徒でいらっしゃる場合は、ご自身で、当該宗派の教えの内容を調べられるとよいでしょう。

<神道と仏教の違い>

さて、長くなりましたが、いよいよ本記事の本題である<神道と仏教の違い>を紹介致します。

宗教が違うわけですから、むろん違いは山ほどありますし、先程の説明で違いは大体お分かりになったかと思いますが、ここでは代表的な5つの違いを紹介したいと思います。

信仰対象

先述しましたように、神道……八百万の神 (様々な「事・物・人・自然」を神格化したもの)です。

一方、仏教ではどうでしょうか?先程の話でお分かりかと思いますが、“本来、仏教には信仰対象などない”のです。悟りを開いて、苦しみの続くこの世から抜け出す(解脱する)事が、仏教の目的なのですから。

しかしながら、なぜお寺などに皆さんが参拝するのかと申しますと、先程申しましたように、「原始仏教」と「日本に存在する仏教」とに大きな違いがあるためです。例えば、日本で最も信仰されている仏教の宗派である「浄土真宗」ですが、これはザックリ申しますと、“自分の力を過信して自己の力のみで解脱を試みようとする事はやめて、修業はもちろん念仏なども含め、「自力による解脱」を一切試みようとせずに、私たちを救おうとして下さっている阿弥陀様の力、すなわち「他力」にただただ任せよう”という宗派なのです。

これを「堕落・甘え」と解釈するか「謙虚」と解釈するかは人それぞれだと思います。(私個人的には、これはもはや仏教でもなんでもない気がします(苦笑)。原始仏教では「修行なんかしなくても救われる」なんて事を、お釈迦様は一切仰っていませんから……。)

ただ、こうした

“ただ阿弥陀様を信心して任せていれば救われるんだ”

“厳しい心身修養なんかしなくても、誰でも出来るんだ”

という、容易に実践できる教えだからこそ、日本の庶民の間に広く普及したのは事実です。

教典(開祖の教えを記録した書物)

神道……全く存在しません。

先述しましたように、人々が自然に崇拝するようになっていったのが神道の根本で、誰かが教えを広めたというわけではない、つまり「決まりがない」のです。

強いて言うならば、「自然や周囲に感謝する」「日頃の行いを節制する」という心がけでしょうか。

仏教……様々な教典(仏教では「経典」)が存在します。

宗派によっても異なり、ここでは挙げきれません。

聖職者

神道……神職・神主

神職は、神社で祭事や社務、祈祷などを行う方々です。

ちなみに、巫女(みこ・ふじょ)さんというのは、「神主の補佐役」「神事の時に神楽や舞を奉仕する仕事」を行います。

仏教……お坊さん・僧 (「仏教徒」を指します)

ちなみに、仏教には様々な人の尊称がありますが、いくつか簡単に紹介します。

和尚……教えを説くお坊さん。

住職……お寺に住み込んでいるお坊さん。

菩薩……如来になろうと修行中のお坊さん。

如来……(大乗仏教において)修行を完成したお坊さん。「仏陀(悟った人)」とほぼ同じ。

阿羅漢……(原始仏教や上座部仏教における)「尊敬や施しを受けるにふさわしい聖者・最高位に到達なさった修行者」の事。もちろん悟っています。

阿弥陀様……「阿弥陀如来」の略称。如来である為、もちろん悟っています。

観音様……「観音菩薩」の略称。

『菩薩』ってまだ修行中の身でしょ?どうして崇められているの?」と疑問に思われたかもしれません。実は観音菩薩は、実質上は「如来」と同等に修行を完成されたお方なのですが、自身の解脱よりも衆生の救済を優先させる為に、あえて菩薩の位のまま周囲と共にいらっしゃるお方なのです。だから崇められているんですね。

宗教施設

神道……神社

神社は、「神様が祀られている場所」です。

仏教……寺

お寺は、「お釈迦様の教えを信じ、悟りを目指す人が暮らす場所」です。

参拝方法

神道……二拝二拍手一拝

お賽銭を入れた後、2回礼をして、手をパンパンと2回叩き、もう1度礼をします。

仏教……合掌

お賽銭を入れた後、手を叩かずにただ手をあわせます。

最後に

以上、神道と仏教についてのおおまかな内容はご理解頂けたかと思います。

本記事を読んで頂いて、少しでも宗教の教養が深まればとても幸いです。

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