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仏教の神道違い 寺と神社の違い

 
Rina H.
投稿者 Rina H.. 更新された: 16 1月 2017
仏教の神道違い 寺と神社の違い

仏教(ぶっきょう)と神道(しんとう)の大きな違いを日常ではあまり考えたことがありませんでした。生活の中に馴染んでいることだからでしょうか。日本では、生活の中に仏教と神道がありますが、他国にいけばこれが別の宗教に代わり生活の一部となるのかもしれません。仏教と神道が両方生活の中に溶け込んでいて、なんとなく理解し使い分けているのは、日本特有といえると思います。

冠婚葬祭で、婚礼は神式で執り行い、葬儀は仏式で行うなど融合されている外国人には理解の難しいことになっています。日本では、宗教の自由が認められていますが、多くの方の場合「宗教はどちら?」と聞かれても答えが出せないのではないでしょうか?私も「無宗教です」という答えしか浮かびません。(実際は、葬儀を仏式で行っているから『仏教徒』なのかもしれません)

都合が良いときに神頼みして、教えを乞い座禅を組むためにお寺にいきます。実際は、どのような違いがあるのでしょうか。この際、納得できるよう仏教の神道違い 寺と神社の違いをHohoron.comでまとめてみます。

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目次

  1. 仏教と神道の違い
  2. 普遍と民族的に区別されている
  3. 仏教は、僧。神道は、神主
  4. 日本人あるある

仏教と神道の違い

宗教は、ずべてに「教え」が存在します。教えを信じるのであれば、自由に宗教を選ぶことができます。人種や民族の枠を超えた、教えに共感できる人は共感した教えの徒になるのです。

仏教は、「教え」や「導き」があります。坊主のお説法がその「教え」の一つです。その教えに共感し、その教えを守るのであれば「仏教徒」ということです。一休さんは、お寺の和尚様のところで修行していますから、「仏教徒」でしょう。和尚様がいるのもお寺で、仏教になります。僧になるには、修行が必要であり「本山」といわれるところに年単位で修行に行き「僧」になることができます。お寺の息子は、「僧」になるという流れですね。ファンキーモンキーベイビーズのDJもお寺の息子で、芸能界を引退し「お坊さん」になられていますね。僧は、掛け持ちできない厳しい世界といった印象です。

神道とは、「伝説」や「いいつたえ」はあるが、「教え」はないのです。神頼みしにいくのは、神社です。神様が宿り、祭られる場所です。神が宿る場所と信じられている場所が神社であり、その宿る対象は、「鏡、刀、老木、岩」など様々で固定された何かに宿るわけではありません。教えがない為、多くの外国人が「神道」について理解に苦しむのです。教えがあり信じるという基本的ルールを持ち合わせている外国人からすれば、「神道」は不思議でしょう。

は、お寺の息子が多いイメージですが、神主は、息子以外にも外国人がいたり、定年退職された学校の先生が資格を取得しなっている例もあります。資格があれば、「神主」になることができるのです。狩野えいこうが「神主」と芸人の二束のわらじをはいていますね。

二束のわらじができるのが神主で、神主がいるのが「神社」、神社にいるのが「神様」で神様は、何かに宿って奉られてるところが、神社です。ぐるぐるしてしまいましたが、神様がいるのは神社です。出雲大社も神道の一つ、伊勢神宮も神道の一つ、伏見稲荷も神道ですね。

普遍と民族的に区別されている

教えがあり、教えに共感することができ人種を問わなければ→「普遍的宗教」と位置づけられ教えが無く、奉り崇める対象がある場合は、「民族的宗教」となります。

地域ごとに「伝説」や奉られる対照が異なることから、地域が限られる「民族的宗教」に位置づけられているようです。このように文字にしてみると、日本人にとっての仏教・神道はどちらもあいまいですね。このあいまいさを理解できる感性こそが、日本人特有なのでしょう。

仏教は、僧。神道は、神主

仏教は、仏様がいます。お寺の多くには、仏殿があるでしょう。その中には、阿弥陀如来や大仏様がいるはずです。仏様の教えを説き、その「道しるべ」を作るのが、僧です。

神様がいる場所が、神社であり、大きな鳥居があるのではないでしょうか?大鳥居があれば、神社であり「神様が奉られている」ということです。

仏教の中でも日本は、宗派がわかれています。浄土宗・日蓮宗他と『家ごと』「地域ごと」にわかれています。2013年ブリタリカ国際年鑑には、99%の日本人が広義の仏教徒であるとかかれていますが、断定的ではなく、広い意味で言ったら「仏教徒なんじゃないの?」という具合です。ですから、どれに属しているかを深く考えることなく一部となり生活をしてしまっているなんとなく仏教徒?が多い国日本です。

普遍的宗教でいえば、仏教徒かもしれませんがそこまでの信仰は無いように思えます。(もし、仏教徒の方が見られていたらすみません。地域的にも信仰する気配が薄い地域に下りますので、お許しください)

日本人あるある

鳥居のような木で作られたものを、山道などで見かけませんか?ゴミを捨てられないように、入らないようにと設置されているものが多いのです。

日本人あるあるですが、鳥居があると無断で進入したり、ゴミを捨てる人が格段に減るのです。鳥居=神様がいる場所というイメージが植えつけられており神秘的に感じるのかもしれません。外国人には、この行動が理解しがたいようです。鳥居=神様なの?と、とても不思議でしょう。

話はそれましたが、広義的には仏教徒だけど、神道も信じているという仏教と神道の違いはなんとなく理解できましたが、そもそも仏様と神様はなにが異なるのでしょうか?

私自身が一番納得した説明としては、神様=誰にでもなれるわけではない。人間を超越(人じゃない)絶対的な存在、仏様=ブッタ(悟れる人)という意味で、お釈迦様をさしている。お釈迦様が最初に悟りをひらいたころから、仏様=お釈迦様です。総合すると、神様には絶対になることはできませんが、仏様には修行を重ねればなることは可能ということです。だから、僧は日々修行を行うのですね。

仏教は、お釈迦様のように悟りをひらく人になれる指導をするという宗教になります。同じ普遍的宗教でも、キリスト教と異なる点は絶対的な神がいないということでしょう。

神様は奉られ崇められる存在であり、日本では「伝説」「いいつたえ」の根本となっているのが神道であり、日々の修行で悟りをひらき正しい道へと導くことが仏教ということになります。

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